豊臣秀吉

木下藤吉郎として織田信長の目に留まり、羽柴秀吉となり武将として織田信長に仕え、
そして豊臣秀吉となりて天下統一を叶える。

豊臣秀吉が築城した大坂城
【大坂城】羽柴秀吉、後の豊臣秀吉が天正十一年(1583年)九月に築城を開始

織田信長と木下藤吉郎秀吉

天文六年(1537年)、織田信長の父信秀の足軽であった木下弥右衛門の長男として尾張国愛知郡中村にて誕生。幼名は「日吉丸」。弥右衛門はすでに帰農していたので秀吉は百姓の子として生まれたことになります。家は貧しく行商をして暮らしていたと言われています。そして那古野城主であった織田信長の目に留まり足軽として召し抱えられたのが、天文二十三年(1554年)、秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた十七の時とされています。「信長の草履取り」としての逸話まで生まれた主君織田信長との出会いでした。