織田信長

戦国時代最強の武将として謳われた織田信長。二十七歳にて桶狭間の戦いで今川義元を討ち、一躍戦国乱世に其の名を広め、そして明智光秀の謀反により本能寺の変にて自刃した戦国最強の武将織田信長の生涯を辿る。

天文三年(1534年)、尾張守護代清洲織田大和守家の三奉行であった尾張勝幡城主 織田信秀の嫡男として誕生。幼名は「吉法師」。
生母は清洲土田城主 土田政久の娘 土田御前。同腹の弟 信行(信勝)、妹 お市。
父である織田信秀は、今川氏豊を攻め奪い取った那古野城に嫡男である吉法師(通称三郎)に傅役として林秀貞、平手政秀らを付け居城させ、信秀は古渡の城へ移り、そして、幼い吉法師は、父母と離れ一城の主となります。
天文十五年(1546年)に元服した織田信長は、翌年に三河吉良大浜城への初陣を果たします。
そして父・信秀は、天文十三年(1544年)及び天文十六年(1547年)の美濃攻めの連敗により、美濃国主である斎藤道三との講和への道を選びます。
和睦の証として斎藤道三の娘である濃姫(帰蝶)と嫡男である信長との婚姻が結ばれることとなります。
天文十七年(1548年)、信長は濃姫を正室として迎えます。