今川義元

今川義元、天下統一を掲げ「西上」を目指すが「桶狭間の戦い」にて織田信長に討たれる。

永正十六年(1519年)、駿河の守護大名 今川氏親の五男として誕生する。母は藤原北家中御門宣胤の娘「寿桂尼」。四歳にて出家し「承芳」と号するが、しかし、嫡男であった今川氏輝が二十四歳にて病死し、家督争いが起こり、腹違いの兄を倒し、十八歳にて還俗し今川家の家督を継ぐこととなる。甲斐武田と甲駿同盟を結び、武田信虎の娘を妻とする。 領国の商工業を活性化し、軍事力の増強に力を注ぐ。今川、北条、武田との間で甲相駿同盟が結ばれる。三河まで勢力を伸ばした今川義元は、武田信玄の嫡男 義信に娘を嫁がせることによって同盟を強化する。上洛〜西上を目指す今川義元は、尾張に侵攻を開始するが、永禄三年(1560年)、桶狭間にて織田信長の奇襲を受け西上叶うことなく討死。