剣客商売二 第三話「剣の誓約」

木々が色づき、庭の柿の木が実をつけている。《無外流 剣術指南 秋山大治郎道場》。佐々木三冬がとある若者を大治郎に引き合わせている。七百石の旗本、高尾佐兵衛の次男・勇次郎である。大治郎の剣名を聞及び、高尾佐兵衛自らが田沼意次に申し入れ、三冬が連れて来た入門希望者である。すでに十七年、一刀流を学んでいるが「そろそろ他流の水を飲むのもよかろう」との事、「ならばぜひ大治郎に」と。その場で金十両の束脩(そくしゅう)を差し出した。大治郎は素直に受け取る。そして道場にて。六尺あまりの赤樫で作られた振り棒を片腕で振る大治郎。それを勇次郎に手渡すが、あまりの重さに落としかける。鉄条までがはめこまれているので、相当な重さである。「これを振るのですか」と不安げな勇次郎に「まずは二千遍」。それまでの修行でそれなりに腕に自信のあった勇次郎であるが、大治郎はにべもない。

浅草・今戸の本性寺。ここには小兵衛の亡き妻、貞の墓がある。その前で手を合わせる老武士の姿がある。嶋岡礼蔵。その後、小兵衛と共に墓に参ったおはるが、貞の墓にだれかが参ったことに気づくがそれが誰であったのかは二人にはこの時はまだ分からない。その後、揃って浅草・橋場の料亭「不二楼」へと向かったが、料理に舌鼓を打つおはるを尻目に、小兵衛はまだ考え込んでいる。「大治郎が七歳の折に病没し、かれこれ二十年にもなろうかというのに一体だれであろうか」と女将のおもとにも「お参りしてくださったんだから、それでいいじゃありませんか」と言われながらも、気にかかる小兵衛である。

大治郎の道場では高尾勇次郎が懸命に振り棒を振っている。そこへ大治郎を訪う声がし、出迎えただ次郎はその老武士を『先生』と呼んだ。嶋岡礼蔵である。丁重に挨拶をする大治郎に「此度はおぬしにわしの死に水を取ってもらわねばならぬ」とも。嶋岡礼蔵はかつて小兵衛が師事していた辻平右衛門の門人で小兵衛の『弟弟子』にあたる。平右衛門が道場を閉じ、山城の国・愛宕群・大原の里へ引きこもった際、小兵衛は江戸に残り礼蔵は師である平右衛門につきそい大原の里へ向かった。十二年前、剣士として生きたいと思った大治郎が父の元を離れ、一人大原の里で修行を始めて以来、礼蔵は大治郎にとって『第二の師』であった。礼蔵のために風呂を沸かし、師の背中を流しながら昔の事を話していたが、ふと「父上はお元気か」と礼蔵が尋ねた。「大川の向こうに住んでおります。すぐに知らせてまいります」という大治郎に、礼蔵は一言「無用」と。
 「真剣の勝負をいたす。約定によってな」・・・居間で盃を口に含みながら礼蔵が語り始める。・・・相手の名は《柿本源七郎》。大治郎にその使者に立ってもらいたい。その男とは今回で三度目の立会いとなる。始めてあったのは二十年前。江戸・麹町の辻平右衛門道場。兄弟子の小兵衛は他業中で柿本の相手を勤めた。一打ちに打ち倒したが、柿本は十年後の同じ日に真剣での立会いを申し入れた。まるで別人のように修行を積んだ柿本との立会いは結局勝負がつかず、さらに十年の後を約した。それが今回である・・・この二十年、鍛えて来たがそれは柿本源七郎の為、やがて彼に打ち倒されんが為であったのかも知れん・・・と語った。そして「形見だ、わしのな」と亡き辻平右衛門より受け継いだ『越前守藤原国次』の短刀を大治郎に差し出す。雨音が道場にこだまする。

翌日、昨夜来の雨も止んだ空のもと大治郎が塗笠を被り出かけて行く。目指す住まいの門の近くまできた大治郎の耳に弦音が聞こえる。笠を取り、門に手をかけると開いているが、その時、一本の矢がすぐそばの木に突き立った。目を向けると片肌を脱いだ若者がこちらを見ている。「どなた?」問いかけに「大和の嶋岡礼蔵の使いの者です。柿本源七郎先生にお取次を願いたい」。若者が沈黙しているので「ご不在なのですか」再度問うと「私が伺います」と。大治郎は礼蔵の書状を手渡し柿本源七郎に返事をいただきたい旨を伝える。黙ったまま家に向かった若者がしばらくして戻って来た。今度は肌を入れ、衣服を正している。書状を差し出しながら「柿本先生のご返書です」。受け取ろうとした大治郎の手を握りうす笑いを浮かべる若者に一礼してその場を立ち去る。みごとに的を射た矢の的や若者の非礼な態度に大治郎は何を思ったのであろうか。
 そのころ、大治郎の道場で。嶋岡礼蔵が剣を振るい井戸端で汗を流していると背後から声を掛けられる。振り返ると小兵衛である。「一瞥以来ではないか、なぜ出て来たことを知らせぬ」という小兵衛に「出て来たことをなぜ知った?」・・・「昨日は貞の命日。墓参りに行った」。久しぶりに旧交を温めよう、息子も世話になっておるその礼もしたいと小兵衛は我が家へ礼蔵を誘う。

大治郎が戻って行くのを確かめ、若者が戻って行った家の中で嶋岡礼蔵の書状に目を通して居る人物がひとりいた。病床にふしているようである。「お使者は帰られたのか?」問う声が苦しげである。「真崎稲荷近くの秋山道場、秋山大治郎殿だそうだ。嶋岡殿の門弟で明朝の試合に立ち会ってくださるそうだ」。「思わぬ病に倒れた自分が武士としてようやく死ねる、お前にかけて来た迷惑も今日で終わる」と言う柿本に「お慕いしている気持ちを少しもわかってくださらない」。柿本は感謝はしていると言うが、しかしずっと考えていたのは『武士らしく死にたい』その一存であった。「先生は必ず勝ちます」と答えるこの若者は、やはり門弟なのであろうか・・・。「気休めを言うな」と言った柿本が両手で胸元を押さえ、苦痛に顔をゆがめる。「大丈夫です。おこころしずかに」と寝床へ横たえ、口移しに薬湯を柿本へ飲ませた。
四谷の「武蔵家」。柿本への使者としての帰り道だろう、弥七の女房が経営する料理屋で大治郎と弥七が話し込んでいる。嶋岡礼蔵が試合をすることを弥七に伝え、その上で相手がどうも腑に落ちないようだ。暮らしの匂いがしない住まいで、本人も姿を見せない。取り次いだ者も門人なのか何なのか。麻布の西光寺裏のその住まいを探ってくれるよう弥七に依頼している。道場では高尾勇次郎が懸命に振り棒を振っている。そこへ帰って来た大治郎。礼蔵がいないことを尋ねるが勇次郎が来た時にはすでに姿が見えなかったとの事。「まだ稽古をつけてはいただけませぬか」と問う勇次郎に「振り棒は何回?」「もはや百篇は」・・・「ではあと千九百」と鮸膠(にべ)も無い。

女もいる怪しげな盛り場。ちびちびと酒を飲んでいる浪人の元に例の『三弥』とよばれた若者が小判を投げ与え、側に腰を下ろして意味ありげな笑顔を見せる。そのころ小兵衛の隠宅で。おはるを女中と間違えた礼蔵に軽口を叩いたり、「嶋岡様と三つしか年も違わないようには見えない」とおはるに言われて「わしだって鍛えておる。生き方の違いじゃ」と言ってみたり、久しぶりの再会を小兵衛も喜んでいるようである。庭先で「よい暮らしだ」という礼蔵に「貞には申し訳ないが、生きておるものの特権だ」と小兵衛。「このような暮らし、わしも望んだ事があった」。礼蔵の兄は大和の国で庄屋をしている。年老いた剣客がいささかの邪魔にもならぬほどに豊かであると。みんな暖かく迎えてくれたと。しかし剣士としての宿世(すくせ)は自分を捉えて離さなかった、と礼蔵は語る。「来たのじゃな、果たし状が」小兵衛を振り向きながら「知っておったのか」と聞く礼蔵に、小兵衛は辻平右衛門から詳しく聞いたと答えた。「その最後の期日が明日であると気づいたのは墓参りの折。貞の命日であるというだけではなかったのじゃな」と小兵衛。「老いてなお二十年前の約定のために、わざわざ江戸へでてくる。愚かな男だと思うであろう。お主は老坂にかかったとたん、ひらりと身を転じた。自分は時流からもはずれたまま昔からの剣士としての殻に閉じこもったまま。しかし後悔はしておらん。そこに剣士としての喜びもある」という礼蔵に小兵衛は何と想ったか。
《秋山どの隠宅へ 礼蔵》としるされた置き手紙を見た大治郎が礼蔵を迎えにきたが、「飲み食いはこれから始まるところじゃ。大治郎あがってゆけ、師の側に座れ」という小兵衛に無言で頷く礼蔵と頭をさげる大治郎。

大川を渡り、橋場の船着に着いた舟から小兵衛に礼を述べ、降りる礼蔵。そのあとから行こうとする大治郎に「明朝の試合は師の生命を掛けた教えとなろう。しかと見届けるが良い」と小兵衛が声をかける。先に道場に着き、庭先の石井戸で水を汲み上げようとする礼蔵に向けて疾って来た一筋の矢が背に突き立った。次々に射込まれる矢の音に気づいた大治郎が林の中で矢を番える人影を見つけ追いかけ、その右腕を切り落とした。道場では襲って来た浪人二人を礼蔵がその胴を薙ぎ払い打ち倒した。駆け寄る小兵衛と大治郎に一言・・・「これまで」とだけ言った。この一言が嶋岡礼蔵の最後の言葉だったのである。
 礼蔵が横たえられた道場で弥七が例の柿本源七郎に関する調べを秋山親子に話している。「碌に身動きもできない病人」が住んでいる。「長い間、幽霊屋敷のようになっていたが二年ほど前から気色の悪い二人組が住み着いた」ということだ。一人は心の臓でも悪いようで、もう一人は女形のような色若衆だそうだ。「果し合いなんかできっこねえ」というのが弥七の見立てである。その頃、右腕を切り落とされた若者が例の住まいに逃げ帰って来た。呻き声を聞いて外に出た柿本源七郎は「お許しください」という若者に「何をした」と尋ねるが痛みで答えられない。その片腕を切り落とされた姿を見て柿本は打ち震える。

明け六つ、麻布の広尾の原。小兵衛と大治郎が柿本源七郎を待つ。小兵衛は来ると信じている。もし来なければ「嶋岡礼蔵の一生は何だったのか。その病の男が柿本源七郎であったとしても、念押しの手紙を出している。来ぬはずはない」。「立って歩けぬほどの病人がどうして」と問う大治郎に小兵衛が答える。「病で倒れればただの哀れな行き倒れ。決闘に敗れればこれぞ剣客。今日の日まで決して死ねぬと思い続けていたのであろう」と。現れた柿本源七郎に矢を見せ、嶋岡礼蔵がその矢に倒れたことを伝えられた柿本は「確かにこれは、わが門人の伊藤三弥の物」「昨夜の襲撃はお手前の指図か」との大治郎の問いには、即座に「違う」と答える。「死ぬことも怖くはない、戦いに敗れることも怖くはないというに、何で嶋岡殿を恐れる事があろうか」。その言葉に偽りはないと見て取った小兵衛、「剣の誓約、未だ潰えておらず。それがしは秋山小兵衛。嶋岡礼蔵とは、同流同門。嶋岡の意志を全うせんと今日ここに参上いたした」。「よろしいか」と問う小兵衛に「無論のこと」と柿本、「一子大治郎、見届けます」という秋山親子に頭を下げる柿本。正眼に構える柿本と対峙する小兵衛は下段の構え。打ち込む柿本の頭上高く飛び上がりざまの一太刀が柿本の首筋を切りはねる。「お見事」・・・そう言い残し崩れ落ちる柿本源七郎。その場に佇む秋山親子は何を思うのであろうか。

本性寺。貞の墓の隣にある嶋岡礼蔵の墓に手を合わせる小兵衛と大治郎。伊藤三弥という者はただの門人ではなかった。行方のわからぬ三弥と柿本の関係は他人がとやかく言うべきではない。しかし右腕を切り落とされ、師匠まで無くしたその恨みは深いと小兵衛が言う。それがお前の選んだ道だとも。大治郎も承知している。「嶋岡もその道を全うした。最後の仕上げにわしが少し手を貸したのは、わしにも剣客としての血の騒ぎがまだ残っていたのか。それとも・・・貞の側に眠れば嶋岡の心も少しはやすらぐであろう」。実は小兵衛の妻である貞はその以前は辻平右衛門の身の回りの世話をしていた。その時の貞を小兵衛と嶋岡が争ったのであった。そして小兵衛が勝った。その時から小兵衛と嶋岡の歩む道が別れた。「不二楼におはるを待たせてある」といって立ち去る父の背に大治郎は何を感じるのであろうか。
 道場に戻った大治郎を待つ人がいた。佐々木三冬である。「悪い知らせです」という。例の高尾勇次郎の入門の一件はなかったことにしてもらえないかと申し入れがあったらしい。あまり残念がらない大治郎に「棒振り百回で両腕が腫れ上がるような人に二千回など無理です。たまには打たれてやって『なかなかの腕前』と言ってあげなければ駄目です、と言われるが大治郎、そのような稽古をする気は毛頭なさそうである。また、そう言いつつ三冬もそういう大治郎が気に入っているようである。この道場、この先どうなりますことやら。

原作版 剣客商売第一巻 第二話 剣の誓約

原作ではストーリー開始直後のエピソードであり、その為、大治郎と三冬はまだお互いの存在を知らぬ状態であります。また、小兵衛もほとんど登場せず、小兵衛とおはるは夫婦になっておりません。嶋岡礼蔵が矢に倒れた後に柿本・三弥が住む西光寺裏へ出かける際に登場するのみで、小兵衛と柿本は立ち会わず、柿本はその場で自刃することとなります。そして、大和の国の嶋岡の兄に知らせるべく、小兵衛の手紙を携え大治郎が旅に出ます。そしてその帰り道にのちにTVにて放映される《雨の鈴鹿川》の一件が起こることとなっています。とはいえ、原作では大治郎と三冬は小兵衛宅の側の堤ですれ違います。その姿に見惚れる大治郎に「何ぞ用か」と誰何する三冬、それぞれがどんどん変わって行くのが今後の楽しみでもあります。また、TV版では言葉少なに、その表情で心の動きを表現する演技が秀逸なストーリーとなっております。

剣客商売二〜第三話「剣の誓約」〜キャスト

秋山小兵衛 藤田まこと
秋山大治郎 渡部篤郎
佐々木三冬 大路恵美
おはる 小林綾子
弥七 三浦浩一
おみね 佐藤恵利
おおと 梶芽衣子
嶋岡礼蔵 夏八木勲
伊藤三弥 本宮泰風
高尾勇次郎 森宮隆
柿本源七郎 東野英心