剣客商売一 第九話「天魔」

 秋山小兵衛隠宅。その庭先の縁台で眠っている小兵衛。そこに現れる人影。体からまるで分身したように陰が小兵衛に向かって進んで行く。気配を感じ、起き上がった小兵衛の体を飛び越えざま、手にした混紡を振るい小兵衛を倒してしてしまう。離れた陰が体に戻る。薄笑いを浮かべるような表情である。と、その時小兵衛が起き上がりその人物を見つける。小兵衛が襲われたのはその人物の夢想の中であったようだ。「お久しぶりです、秋山先生」。抑揚の無い、冷ややかな口調で語りかける。「笹目千代太郎でございます」。八年ぶりに江戸にもどってきたという千代太郎とは浅からぬ因縁があるような小兵衛である。「わしが道場を畳んでしまって残念じゃったのぉ」という言葉にもその様子がうかがえる。何をしていたのか、これからどうするつもりなのかと問う。江戸の先生方の道場を訪ね歩くつもりであると答える千代太郎。まずは湯島の金子道場とやらを尋ねてみようと思う、と答える。引き留めようとする小兵衛を振り返ることもなく、立ち去る千代太郎。そこにおはるが戻ってきた。客があったようだが、と聞くが小兵衛は緊張の面持ち。何通か手紙を書かなくてはならない、その一つを大治郎に届けてくれ、とおはるに頼む。

 湯島の金子孫十郎信任の道場。佐々木三冬が稽古をしている道場に大治郎がやってきた。どうやら金子先生は体の調子が悪く床に伏せっていたようだ。今日は大分良くなっておられる、と三冬から聞いた大治郎が見舞いに赴く。と、そこへ三冬がやってきて「秋山先生がお越しです」と告げる。孫十郎は今日はどうしたことか、秋山先生まで・・・と驚く。廊下で顔を合わせた小兵衛と大治郎。「まだ来ておらぬか」と小兵衛が尋ね、「まだこちらへは」と答えた大治郎。どうやら小兵衛の手紙を読んだ後、金子道場へ来たようではあるが、事の子細はまだ大治郎には飲み込めていないようだ。

 どこかの神社の様な風景。千代太郎と猿と呼ばれる大男。市中の道場の名と所在地が書かれた冊子を広げ、目にとまったのが牛堀久万之助の道場。どうやら金子道場では無くそちらへ向かうようだ。

 小兵衛が舟で隠宅へ戻ってきた。「今日は現れませんでしたな」と問う大治郎に「やつは必ず来る。当分の間、通って金子先生を守ってくれと」いう小兵衛。「今のわしがやつに勝てるか・・・」とも。すでにとっぷりと日が暮れている。と、船着きへ提灯を下げたおはるが来ている。牛堀先生が来ていると小兵衛に告げる。小兵衛に牛堀、さらに大治郎が加わった隠宅の居間で「では、やつはあんたの所へあらわれたのか」と小兵衛が驚く。牛堀は今日は朝から出かけていたので、小兵衛の手紙を読んでいなかった。後で聞いた所によると、牛堀道場でも五本の指に入るといわれる門人が千代太郎と立ち会ったが、廻りの者の目にもは途中まではわかったが、最後にはどうなったのか誰にもわからなかった、と。大治郎が「その男は何者なのです」と問う。小兵衛は「剣で名を売ろうというのでも、金を稼ごうと言うのでも、ましてや剣の道を究めて己を磨き上げようと言うのでも無い」と。「では、何のために剣を」と聞く大治郎に「ただ、勝つのがうれしいだけよ」と言う小兵衛に「まるで子供では」と久万之助が憤るが「そうさ、子供さ。だが、ただの子供では無い。小さい時に魔物が乗り移った。それがそのまま大きくなった。このままではこの先、どれほどの血が流されるか」とうつむき加減に小兵衛が言う。そして牛堀にも知る限りの道場に通達を出してほしいと頼む。「では、あなたは」と牛堀に聞かれ、「やつを探し出して始末を付ける」と小兵衛。

 「難しい話は後にして、冷やし汁をつくったのでどうぞ」とおはるが三人の居る居間に膳を運んで来た。小兵衛がしばらく関屋村に居るようにおはるを諭すが、おはるは納得しない。「あたしが何をしたってゆうんだ」と。何かをしたのではなく、何かが起こりそうなので安全のためであると小兵衛が訳を話すがふくれっ面のおはるはさっさと台所に引き上げてしまう。後を追う小兵衛が立ち上がり様、大治郎の肩をぽんとたたき、「笑っておらずに何とか言ってくれれば良いのに」と。囲炉裏端でおはるに「あしたはおとなしく実家に帰るけど、今夜はゆるさないからね」と言われ困り果てた表情の小兵衛である。そして翌日、小兵衛は不二楼へやってきた。これからの事を考えて、動きやすいように隠宅では無く、不二楼へ泊まり込むつもりらしい。不二楼でも料理は長次、身の回りの世話はおよねが受け持ち、小兵衛に不自由させない段取りがなされている。好物の豆腐に舌鼓を打つ小兵衛。

金子道場に居る大治郎の元を四谷の弥七が訪ねてきた。どうやら、依然としてその行方はつかめていない様子。大治郎は小兵衛のことが気がかりであるようだ。弥七が言うには千代太郎との対決に備え、立ち会いの悩みを振り払うように考え事をしているらしい。事実、不二楼脇の舟の上で立ち会いの型を考えながら、それでもまだ納得がいかない様子。それを二階の座敷からふと眺めるおもと。

 とある軽業小屋。所謂芸を披露する見せ物小屋である。客を呼び込んでいる。韋駄天大王の名で演じる出し物、身の軽さを売りに芸を披露するのが目玉のようだ。歌舞伎の隈取りのような化粧をしている韋駄天大王、笹目千代太郎である。先ほど小屋の前で客を呼び込んでいた男が言う。「こう不入りじゃなんともならない。しばらくしたら小屋を畳んで別の土地へ行くので、江戸に未練が残らねえように旦那も用を済ませておいておくんなせぇ」と。それを聞いた千代太郎は猿を呼びつける。「明日、湯島の様子を探ってこい」。猿は「金子道場ですね」と理解した。

 不二楼の座敷。「そうか、まだ手がかりは無いか」と弥七からの知らせを聞いて小兵衛がもらす。喧嘩などならいざ知らず納得ずくでの剣術の立ち会いなら町方も表だって動けないと弥七。「人手が使えないので往生しております」とも。土場なども洗っているので、もう少しお待ちくださいと小兵衛に伝える弥七。大治郎が千代太郎について、改めて聞く。小兵衛が千代太郎との関わりを話し始める。以前、小兵衛が四谷中町に道場を構えていた頃、門人に笹目庄平という人物がいた。剣の腕前はさほどではなかったが、馬があったというのか。その庄平の息子が千代太郎であった。庄平を訪ねた際に見かけた頃はまだ五つか六つの子供であったが、軽々と塀を跳び越えて行く身軽さに小兵衛も瞠目した。剣術を仕込んだらよい、と小兵衛が庄平に勧めたので庄平自身が手ほどきをしていたが、最初は覚えが早いと喜んでいた庄平であった。所がある日・・・。近所の者に呼ばれて庄平の所へ行くと怪我をして寝込んでいる庄平がいた。どうしたのだと問う小兵衛に近所の者は、庄平先生が千代太郎を怒ったのである。最初は黙っていたが急に天井近くまで飛び上がり、先生の頭を蹴飛ばしたのだと言う。庄平は小兵衛に「あれは化け物です。千代太郎を斬ってくれ」と頼み、数日後に息を引き取ってしまう。千代太郎はそのまま行き方知れずとなってしまい、次に小兵衛の前に姿を現したのは数年の後、小兵衛の道場であった。信州の山で修行をし、尾張・遠州を経て江戸へ戻ってきたと言う。父親が亡くなったことをしっているのか、と問い詰める小兵衛には何も答えず、立ち会いを挑んでくる。木太刀を手に取り、小兵衛に向かって投げたが小兵衛は動じず、自分の木太刀を手に取り、向き合う。一気に向かってくる千代太郎ではあるが、小兵衛にあっさり打ち倒される。その後、頭を冷やせと縄で縛り、物置に閉じ込めていたのであったが翌朝には縄を抜け、どこかに姿をくらましていたらしい。その時の結び目もそのままの縄がまるで蛇の様に思われたと、いまでも小兵衛の脳裏にこびり着いているようであった。

金子道場の武者窓から稽古の様子を伺う猿。門人を相手に木太刀を取って向かい合っている人物。ほかの見物人の会話が耳に入る。「金子先生はもう病気もなおったんだろうか?」「いや、あれは金子先生じゃねえ。無外流の秋山先生だ」。その会話を聞き、千代太郎が狙っている人物と同名であると判断した猿であるが、大治郎に続いて稽古に立った三冬に視線が移る。道場からの帰り、人気の無い露地を行く三冬に、木から飛び降りた猿が襲いかかる。圧倒的な腕力で押さえ込まれてしまった所を助太刀に入る大治郎。大刀を抜き、右腕を傷つけるが猿は身を翻し、軽々と木に飛び移って姿を消してしまう。三冬を助けおこそうとする大治郎。どうやら三冬は足を挫いているようである。「いきなり、木の上から飛びかかられて・・・」。照れくさそうにする三冬を背負い歩き出す大治郎がふと気にしたのは、三冬の「まるで軽業のように」という言葉である。大治郎は千代太郎たちが軽業小屋にいるのではないかと思いついたようである。

 武蔵屋。四谷の弥七の店である。大治郎が弥七、傘屋の徳次郎に軽業について話している。「気付きませんでした」と感嘆する弥七は早速徳次郎に命じて軽業小屋を調べさせることにする。弥七とおみねの軽妙な掛け合いも抜群である。

 軽業小屋。傷を手当てしている猿に「だれにやられた」と声を掛ける千代太郎。「金子道場に居た、無外流の秋山に」と聞き「小兵衛か」と。「敵はとってやる」と不適な表情の千代太郎が現れたのは小兵衛隠宅。だが、無人であるとわかり様子をうかがっていた通りがかりの農夫を引きずり込み、「小兵衛に見たままを伝えろ」言い残し、隠宅の内部をめちゃめちゃにする。その頃、町中を駆け抜ける徳次郎。弥七を見つけ、「軽業見つけました」と報告する。「下谷の町外れに小屋が出ていてそこに出ていると」。「よくやった。若先生に知らせてこい」と弥七。その日の夕暮れに実家から戻ったおはるは新宅の状態を見て、おろおろするばかり。農夫に「だれがやったんだ」と聞くが役者風の若い男としかわからない。「先生と女でも取り合ったんでねえか」などと勝手なことをいう、その農夫に「先生が何したって言うだよ、いい加減なこと言うな」とおはる。

 そして、その夜笠屋の徳次郎が大治郎を連れて軽業小屋にやってくる。弥七は先にやってきている。「猿のように飛び上がって居合い切りをするやつがいるらしい」との情報を大治郎に告げる。大治郎は小兵衛を呼びに不二楼へ向かう。不二楼の座敷で小兵衛はおもとに「しばらくだれも近づけないように」と頼む。小兵衛が「居場所がわかったのか」と聞くと大治郎が頷く。「今日、隠宅が荒らされた」と聞かされた大治郎はおはるを気遣う。関谷村へ返しておいたので無事だったと小兵衛が言う。「やつはどこに居た」と聞かれ「下谷の外れの軽業小屋に。弥七と徳次郎が見張っています」と答えた大治郎は続けて「お願いがございます」と。小兵衛は連れて行くよ、というが大治郎は「立ち会いは私に」と小兵衛に願う。「いや、それはわしが切られた後じゃ。わしが倒されたら後はおまえがやつを切れ。これは剣客としてのわしの大事な試合じゃ」と小兵衛。「残りが少のうなったわしの大事な試合じゃ」とも。

 大治郎を先に、試合の場である軽業小屋へ赴く秋山親子。弥七と徳次郎にも手出し無用と告げ、「笹目千代太郎。秋山小兵衛じゃ。立ち会いに参った。出て参れ」と名乗りを上げる。小屋の屋根から飛び降り現れる千代太郎。不適な笑みを浮かべている。「二人掛かりか」という千代太郎に「これは息子の大治郎。万が一、わしが敗れお前が生きながらえておったら、お前を切る男だ」と返す小兵衛。その時、飛んできた刃物を寸前で躱す小兵衛。梯子の上から猿が投げつけてきた物だが、大治郎に梯子を切り払われ、弥七と徳次郎に取り押さえられる。これで邪魔は居なくなった。「良く聞け。お前を切るのは亡き笹目庄平の遺言じゃ。真っ先に父上に詫びを入れろ」と言い、鯉口を切る小兵衛。「おもしろい。その年で俺の動きについてこれるか」と言う千代太郎に対し、下段の構えの小兵衛。間合いを計る両者。間合いを詰めようとする千代太郎。下がる小兵衛。しかし小兵衛が間合いを詰めた瞬間、飛び上がる千代太郎。その一瞬を待っていたように千代太郎が打ち込む前に小兵衛が千代太郎の足を狙って小兵衛の大刀が振り抜かれる。片足を切り落とされた千代太郎は再び飛びかかってくるが今度も小兵衛に切り払われる。傍らに跪いた小兵衛は目を閉じさせてやり、そっと両手を合わせる。「やはり韋駄天が乗り移っていたのよ」とつぶやく小兵衛。「見たかえ、今の立ち会いを」と大治郎へ問う。「いったん下がって急に突進する。跳躍の間合いを崩す戦い方、私もそのようにしようと考えておりました」と大治郎。無言で頷く小兵衛。

 鐘淵の隠宅。襖を張る小兵衛におはるが声をかける。「こんなに卵を産んだんだよ」とざる一杯の卵を見せる。「信じてるからね。今度隠し事したら承知しないから」とおはるに言われ、にわとりに向かって語りかける。ざる一杯の卵を見せつけ、にやりと笑うおはるに困り顔の小兵衛。「にわとりさんよ、お前たちが思うほど、わしはもう強くはないんだよ」と。

原作版小説 剣客商売第四巻 第四話 天魔

 お話の大筋は原作とTV版ではほぼ同じです。では、何が違うのか。まず原作においては笹目庄平は秋山小兵衛の四谷の道場での門人ではなく、辻道場での同門(弟弟子)であること。千代太郎の氏素性については違いはありません。また、鐘ヶ淵の隠宅を荒らされますが、原作ではそれまでのお話において「小雨坊」により隠宅を焼かれていますので、不二楼に仮寓しており、この場面もありません。そして最後の決闘は軽業小屋ではなく、千代太郎からの果たし状により、広尾の二本松において行われます。そしてもっとも大きな違いは最後の立ち会いは大治郎が行うこと。TV版で小兵衛が取った先方は原作において大治郎が使った戦い方であります。

剣客商売〜第九話「天魔」〜キャスト

秋山小兵衛(藤田まこと) 秋山大治郎(渡部篤郎)
おはる(小林綾子) 佐々木三冬(大路恵美)
弥七(三浦浩一) おみね(佐藤恵利)
傘屋の徳次郎(山内としお)
おもと(梶芽衣子) 長次(木村 元)
およね(江戸家まねき猫)
笹目庄平(島田順司)
笹目千代太郎(片桐光洋) 大猿(長江英和)
金子孫十郎(楠年明) 牛堀久万之助(竜雷太)