剣客商売一 第七話「箱根細工」

 真夏の大川を行く渡し船。秋山大治郎が小兵衛に呼ばれて隠宅へ向かう。急ぎの用であるという。隠宅の縁側、小兵衛と大治郎が西瓜を頬張っている。おはるの父自慢の西瓜である。用件は何かと言うと小兵衛のかつての同門であり、小田原にて無外流の道場を開いていた横川彦五郎が病で療養しているという。箱根の田村屋という温泉宿まで小兵衛の名代として見舞いに行ってもらいたいという事である。横川彦五郎とはかつての辻道場の同門で剣一筋、極めんがために女房ももらわなかったという人物である。「先生と大違いだ」とつっこむおはるに「そうそう・・・これこれ」と小兵衛のボケが入る。大治郎が承知したので手文庫から見舞いの金子を取り出して大治郎に渡し、この歳になると剣術仲間も減ってな・・・とは小兵衛。「そんなに心配なら先生が行けば良いのに」とおはる。「横川さんもかつての剣術仲間に己の病み衰えた姿は見せたくはないであろう」と小兵衛が言う。それなら、先生と若先生とおはるの三人で見舞いに行って、ついでにお湯にでもつかってゆっくりしよう、と楽しげにおはるが提案するが、小兵衛は「目当てはそれか。見舞いは見舞い、遊びは遊びだ」とにべもない。彦五郎宛の手紙を書かなくてはいけないので夕飯を食って行けと大治郎を誘う。「今夜は泥鰌鍋だったな」とおはるに聞くがふくれっつらのおはるは返事をしない。

 翌朝、大治郎は箱根へ向けて出立する。大人の足で二日半から三日はかかる道のりである。途中の茶店。通り過ぎる大治郎がただならぬ気配を感じたようである。振り返ると茶店で休んでいた浪人がこちらをじっと凝視している。席を立ち、大刀を腰にしながら視線を向ける浪人に向き合う大治郎であるが、この場は何も無く浪人が立ち去る。しかし前方からやって来た三人組の武士と浪人の刀の鞘がふれあう。無言でそのまま行き過ぎる浪人に「無礼者」と叫び斬りかかる三人組は被っていた笠を切り飛ばされ、這々の体で逃げ出す。その一部始終を見ていた大治郎と浪人の目線が合うが、浪人は振り返り道を急いでゆく。

 不二楼の座敷。料理人の長次を相手に泥鰌鍋に舌鼓を打つ小兵衛。「おはるの奴、機嫌を損ねて泥鰌鍋を食いそびれてしまった」という小兵衛に「けんかでもなすったんで?」と長次が聞くが何の事は無い。先日以来、箱根へ遊びにつれていけとおはるがうるさいようだ。「剣術の達人でも勝てねえ試合があるもんですね」という長次に「まさか切って捨てる訳にはまいらんのでな」と軽口を叩いている小兵衛である。そこへ女将のおもとがやってくる。丁度良いところへきてくださったと小兵衛に相談事を持ちかける。なじみの御店の番頭が行方知れずになっているという。女将が来ているので話を聞いていただきたいと。小兵衛が承知して女将が呼ばれる。菓子舗、桔梗屋の女将お信である。力を貸してあげてほしいというおもとの依頼を受ける小兵衛。その後、武蔵屋に現れる小兵衛。「弥七は居るかい」とおみねに聞いたがどうやら寄り合いに出ていて、一刻やそこらでは戻ってこないようである。「ひとっ走り呼んできましょうか」と居合わせた傘屋の徳次郎が言うが「丁度良い、それなら家に帰らずに済むからな。ちょいと二階で一眠りさせてもらうよ」とは小兵衛。「おはるのせいでおちおち昼寝も出来ん」と・・・。

 江戸を立って二日目の午後、箱根・塔ノ沢の田村屋に着いた大治郎。女中に小兵衛からの手紙を差し出し、「こちらにご逗留中の横川彦五郎先生に取り次いでもらいたい」と告げる。部屋へ案内された大治郎を迎えた彦五郎は小兵衛からの手紙を読んでいた。「おまえさんが小兵衛の息子か」と。部屋へ招き、「わしに背負われて神田祭を見にいったのを覚えておるか」と問うが、当時三歳であった大治郎には記憶が無い。小兵衛からの見舞金を差し出す。姿勢を改め、丁重に押し頂く彦五郎。すぐに江戸に戻るつもりであった大治郎に「少しゆっくりしていかぬか。小兵衛め、娘ほどの歳の女房をもらったらしいが、そのあたりの話も聞きたい」と彦五郎が誘うので大治郎はしばらくの間、滞在することとなる。「今宵は久しぶりに酒でも喰らうか」と少し上機嫌な彦五郎。日が暮れて、温泉にやって来た大治郎が目にしたのは途中で出会った浪人であった。「江戸の秋山大治郎と申します」と声を掛けるが、浪人はじっと大治郎を見据えたまま、無言で立ち去っていく。
 その頃、江戸では・・・。小兵衛が傘屋の徳次郎に呼ばれてやって来た。ある寺の涸れ井戸、弥七もそこで待っていた。「この暑い中、申し訳ありません」と。寺の者が臭いに気付き調べたところ、発見されたのは惨殺された桔梗屋の番頭であった。不二楼で桔梗屋の女将から事情を聞くと「房吉という男に脅されております」という。一人娘であるお初は桔梗屋の本当の娘では無いと言う。生まれたばかりの赤ん坊をもらい受け、実の娘として育ててきたという。房吉とはそのお初の実の父親である。その時には二十両を房吉に渡したのだが、最近になって娘を返せと言ってきている。この前も御店にやって来て「昔は娘を売るようなマネをしたが、今はあの頃の自分ではない。料理人として働いていて秋には自分の店ももてるようになる」と娘を返すことを頼み込むが、桔梗屋夫婦も「お初がかわいいのはお前さんだけじゃない」と実の娘として育てたお初を返す気はない。金子を渡してあきらめさせようとしたが、房吉は逆に、包丁を取りだし「娘を取り返す為なら何だってする」と脅しにかかる。どうやら番頭の茂平は数日前、不二楼でその房吉と会っていたようである。その為、今回の事件は房吉の仕業ではないかと疑っている。「房吉の居場所は知っているのかぃ」と小兵衛に聞かれるが女将もそこまでは知らぬようだ。

 箱根・塔ノ沢を散策している大治郎。箱根細工と言われる工芸品を扱う店で品定めをしている。そこへ声を掛ける人物。「田村屋にお泊まりの方ですね」聞けば同じ宿の離れに泊まっているという。お土産ですか、と聞かれたので「はい」と答えた大治郎、「母上に」と。それなら、と勧められたのが箱根細工の裁縫箱。気に入った大治郎がそれを求めることにすると、その人物が持ち歩けるようにと綿でくるんで風呂敷で包むよう、店の者に頼んでくれた。お互い挨拶を交わし、その人物は店を出る。その後から娘であろうか、一緒に出て行く若い娘がいた。

 裁縫箱の入った風呂敷包みを手に宿へ向かう大治郎。川に掛かる橋を渡りかけた時、目に入ってきたのは彦五郎と件の浪人の立ち会う姿。病み上がりの体であるが故に浪人に歯が立たぬ。急ぎ間に割ってはいる大治郎が「この方は病み上がり故、決闘には耐えられん。刀を引いてもらいたい」。浪人は「今日はやめとこう。そうやすやすとは殺さぬ」と言い置き、立ち去る。「あの浪人は何者です?」と彦五郎に問うが「わしを付け狙っている者だ」と言う。聞けばある日、彦五郎の道場に現れた件の浪人は、いきなり真剣勝負を挑んできた。ところが、力の差は歴然。軽くあしらわれた若者は「今に見ておれ」と言い残した。それから後、まるで亡霊のように取り憑いて離れない。何度も挑んで来たがその都度、腕を上げて来た。「今しばらくここへ逗留させて頂こうと思います」と言う大治郎に「わしを守ってくれようと言うのか。小兵衛がうらやましい。お前さんのような息子を持った小兵衛がうらやましいという事だ」と、何やら意味ありげな彦五郎である。その時、大治郎が気配を感じた。大刀を手に、するりと廊下へと足を進める。やって来た人物の前を塞ぐように廊下に出たが、その人物は先ほど、土産物屋で出会った男性と娘であった。「これは失礼」と軽く頭を下げると、相手もそれほど気にはとめていない様子で離れの部屋へ向かう。しかし、その夜。枕を並べて眠る彦五郎と大治郎。気配を感じたのか、大治郎が枕元の大刀を手に部屋を出る。離れの方向に人影が見える。例の浪人である。柄に手を掛けるところで、浪人も背後に気配を感じたのか大治郎の方へ向き直る。刀を帯に差し、じっと向き合う大治郎と浪人、その距離が徐々に縮まる。が、しかし刀の柄から手を離した浪人が大治郎の脇を通り過ぎ、終始無言であった二人は何事もなく別れる。

 所変わって江戸では。桔梗屋の女将お信が提灯を手に夜道を行く。建物に囲まれた露地に入ってすぐ、目の前に布で顔を隠した男が立ち塞がる。提灯の明かりをかざして見ると房吉である。「お前は、房吉」と叫び終わるか終わらないかのうちに、懐から包丁を取り出しお信に襲いかかろうとする。そのとき、房吉の包丁を握った右腕に捕り縄がかかる。徳次郎の投げた縄である。「待っておったぞ」という声に振り向いて見ると、小兵衛に弥七、徳次郎が取り囲んで居る。捕らわれた房吉は番屋の柱に縛り付けられ、弥七が問い詰める。不二楼の座敷で茂平と会っていた事も分かっている。茂平を殺したのは誰だと。自分がやったと茂平は言うが、「あれは尋常な使い手じゃねえ。いったい誰だ」。小兵衛は仕掛人を雇ったのではないかと考えているようだ。近頃は金を貰って殺しを請け負う仕掛人なるものが居るらしいと。「もうお前は娘を取り戻すことはできねえんだよ」。桔梗屋も無事では済まないと茂平は言う。茂平は仕掛人が殺したが、なぜ桔梗屋の女将は自分で襲ったのか、仕掛人はどうしたのか?小兵衛の勘が働く。「ご主人は今どこに居る」お信が答えるには「箱根の田村屋」であるという。どうやら仕掛人は箱根に向かっているようだ、桔梗屋の主人を狙って。小兵衛の目が光る。
 小兵衛隠宅では旅姿の弥七が庭先で待っている。おはると小兵衛が押し問答をしている。わらじを出してくれと小兵衛が頼んでいるがおはるがなかなか納得しない。大治郎と二人で楽しむつもりではないかと勘ぐっている。おはるは桔梗屋の事情を知らないので小兵衛が箱根へ行く本当の理由がわからない。「お早く願います」という弥七の声を聞きながら宥め賺してやっとの思いで出立する。途中、わらじの紐が切れた弥七を急かす小兵衛。「急がねばならん。箱根の田村屋には大治郎も泊まり合わせておるのだ」。それを聞いた弥七は「かえって好都合じゃ」と言うが、仕掛人のただならぬ腕前を知る小兵衛は不安を拭えぬ。途中からは駕籠を飛ばし、道を急ぐ。

 田村屋では朝餉の支度をする女中に大治郎が話しかけている。離れにお泊まりの方はどなたか、と尋ねると、江戸の大きなお菓子屋で桔梗屋徳右衛門さんですと。今日には江戸へ向けて出立するとの事。あわせて尋ねたのは、件の浪人の事。「ここに私と同じくらいの年格好の侍が泊まっているのでは」。すると女中は「あの気味の悪い?」とそっけない返事。そしてその侍は朝早く宿を出たという。そこに彦五郎が戻って来た。大治郎は先日の一件を彦五郎に打ち明ける。「わしを殺しにきたとばかり思っていたが」。どうやら桔梗屋を狙っているらしいと悟った大治郎は桔梗屋と一緒に江戸へ向かうと言う。彦五郎も大治郎と一緒に出立することとなる。
 宿の者に見送られ、駕籠で出立する桔梗屋親子。その後から旅姿の二人、彦五郎と大治郎も田村屋を出る。大治郎の手には箱根細工の裁縫箱。彦五郎はまだ少し咳き込んでいるので、大治郎が気遣いながらの道中である。山を下っていく駕籠の後から行く二人。激しく咳き込み、しゃがみ込む彦五郎。その時叫び声が聞こえる。彦五郎は先に行けと手で大治郎に指し示す。途中の荒れ果てた茶店で待ち伏せしていたのは件の浪人。大治郎が駆けつけると駕籠かきの一人が切られ、ほかの三人が這々の体で逃げ出している。いましも浪人が桔梗屋に刃を向けようとしているところに「待て」と大治郎。その声に振り向いた浪人が掛け出し、大治郎と交錯する。右腕に傷を負う大治郎。左手で傘を捕り、向き直る。浪人も刀を構え直し向かってくる。その浪人に向かって大治郎は大刀を投げつける。大刀で飛んでくる刀を払い落とした浪人に向かって大治郎は脇差しで、その胴を一閃、薙ぎ払う。がっくりと膝を着き、崩れ落ちる浪人。「何故、このような真似をした」大治郎の問いに、「金を貰って殺しを請け負った。おぬしの様に日向で育った者にはわかるまい」と言い残し果てる。そこへ小兵衛と弥七がやってくる。何事かと思った時に、大治郎の姿を見つけ「無事か」と尋ねる。大治郎は小兵衛が何故ここに来たのか事情が飲み込めない様子。「桔梗屋はどうした」との問いに視線を向けた先では、弥七が桔梗屋の無事を確かめ「ご無事でなにより」と。

 彦五郎がやって来た。「横川さん」と声を掛ける小兵衛には目もくれず、倒れている浪人の傍らに座り込む。この男は・・・と大治郎が聞くと「わしの倅じゃよ」とつぶやく。

 箱根の宿に戻った三人。彦五郎の話に聞き入っている。件の浪人は横川彦蔵。彦五郎の実家に奉公していた女中が生んだ彦五郎の息子である。あるとき二人が小田原の道場を訪ねて来たが、剣術に夢中であった彦五郎は修行の邪魔であると、二人を追い返してしまった。そのときから彦蔵は彦五郎を恨んでいたらしい。「女はわしを恨み抜いて死んだらしい」と。息子が仕掛人であることを知っていたのか、との小兵衛の問いには「知っていた」と答えた彦五郎。その上で「大治郎殿に倅を切ってもらいたかった」とも。駄目な父親であったと嘆く彦五郎に、小兵衛は「おまえさんも、わしも違いは無い。おまえさんはほんの少し剣術に夢中になっただけの事だ」と今までの事は間違ってはいなかったと語る。数日後、彦五郎は息を引き取った。箱根には珍しい、夏の日差しが照りつける日であった。

 小兵衛の隠宅。箱根から戻ってきた小兵衛が庭先で洗い物をしているおはるに「今帰ったぞ」と声を掛ける。「急ぎの旅だなんて言って、十日も帰ってこないんだから」とはおはる。何事もなかったかと問う小兵衛に「何もなさすぎて退屈しちまった」とおはるが返す。小兵衛の為に、濯ぎを井戸から汲み入れてもってきた大治郎にも「若先生もひどいでないか、手紙の一つもよこさないで」と。そこで思い出したのか、「母上にお土産です」と風呂敷包みを差し出す。「開けてみなさい、母上」と小兵衛がからかう。「箱根細工の裁縫箱です」。気に入ったおはるが大治郎に礼を言うのをにこにこと見つめる小兵衛と大治郎。隠宅にも活気が戻ってきたようだ。

原作版小説 剣客商売第四巻 第二話 箱根細工

 原作に於いて「箱根細工」は第四巻となります。剣客商売のお話は大分進んできております。大筋のお話はTV版とも差異はありません。違うところは、まず大治郎が横川彦五郎を見舞うために向かうのは小田原です。小田原の彦五郎の道場へ向かいますが、そのときにはすでに彦五郎は箱根・塔ノ沢にて療養しております。そのことを道場の近隣の者に聞いた大治郎は塔ノ沢へと向かいます。その道中、件の浪人、横川彦蔵とも出会います。彦蔵が田村屋で桔梗屋を狙っていること、その理由は房吉が娘を取り戻すために仕組んだ事、などは原作とTV版では同じです。ただし原作に於いての彦五郎は結構頑固者のようで大治郎も小兵衛から「けっして逆らってはいかんぞ」と言い含められております。とはいえ、大治郎の訪問を大変喜んでいたことなどは同じです。そしてお話の最後、大治郎と彦蔵の一騎打ちですが、TV版では一度切り結んだ後、大治郎が大刀を投げますが、原作では桔梗屋の悲鳴を聞いて駆けつけますが、間に合わないと思い、まず小柄を投げ、それで腕を傷つけた後、初太刀を躱した大治郎が投げるのは脇差しです。そしてこのお話は原作では小兵衛は江戸に居たまま、箱根での一件はすべて大治郎が行動します。TV版とは違い、田村屋に彦蔵が居たこと全く知らなかった彦五郎は、彦蔵が金で殺しを請け負っていた事に非常な衝撃を受けます。そして彦五郎から備前兼光の大刀を形見として受け、彦五郎の最後を看取った後、江戸へ戻った大治郎は母上であるおはるに箱根細工の裁縫箱を手渡します。

剣客商売〜第七話「箱根細工」〜キャスト

秋山小兵衛(藤田まこと) 秋山大治郎(渡部篤郎)
おはる(小林綾子)
おもと(梶芽衣子) 長次(木村 元)
弥七(三浦浩一) 徳次郎(山内としお)
桔梗屋徳右衛門(森下哲夫) おのぶ(服部妙子)
房吉(佐藤仁哉) お初(島田麻依子)
横川彦蔵(長森雅人)
横川彦五郎(山本 學)