剣客商売一 第六話「深川十万坪」

剣客商売-深川十万坪-ロケ地写真-上賀茂神社
上記写真は、剣客商売「深川十万坪」のロケ地「上賀茂神社」内です。

 降り続いた雨が上がった朝。隠宅前の小川で大根を洗っているおはる。とことことやって来た小兵衛が声を掛ける。「おまえが、おまえの足を洗っておるようじゃの」。「先生のばか」・・・。梅雨の晴れ間である。夫婦は久しぶりに体を動かすために、深川の八幡さまへ出かける。橋場の不二楼の船着きへ舟を着けると、おもとや料理人の長次、女中のおよねがうなぎやどじょうを獲っていた。「おや、お揃いで」とおもとが声を掛ける。「雨で家に居ておはるの顔ばかり見て退屈で」と小兵衛。梅雨時で店も閑古鳥だし、とうなぎ・どじょうを獲っていた長次が「今日はどちらへ」と訪ねると「深川の八幡さまへ」と。「あとで、翁蕎麦へ行くんだよ。それとも武蔵屋でおみねさんの手料理が食べたい?」と言うおはるに「長次は江戸でも五本の指に入る板前だぞ」と小兵衛。「よろしゅうござんすね」と相づちを打つ長次におもとは「いっしょに行っておいでよ。店もちょうど暇だし」とおもとが言う。

 万年橋の袂、川の畔で何やら人だかりがしている。「子供のやったことですから」と頭を下げているのは少し年配の女性。その後ろには怯えたような表情の子供。侍三人が大声でどなっている。「この釣り竿で面上を叩かれたのだ」「見せ物ではないぞっ」と見物の人々にも怒鳴り散らしている。何事かと様子を伺う小兵衛、おはるに長次。
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「あたしは見てたぞ。あんたらが昼間っから酒かっくらって、若い女にちょっかい出すからこの子が助けようとしたんでねえか」という婆さんに「そうだ、そうだ」と見物の野次馬。いきり立った侍は婆さんを蹴っ飛ばそうとするが、その足をがっしり掴んでそのまま川へ放り投げてしまった。他の侍も刀を抜いてまで向かっていったが婆さんに吹っ飛ばされたりでさんざんな目に。喝采をあびる婆さんとは対照的に、すごすごと逃げ出す侍三人。婆さんに礼を言って去っていく子供の後ろ姿を見送ってから、婆さんも帰路につく。思わず手を打った小兵衛が言う。「見上げたもんだ」と。さらに長次に「あの婆さんが無事に帰るか見届けてやってくれ。わしらは武蔵屋で待っておる」。「がってんです」と婆さんの後を走り出す長次。

 武蔵屋。小兵衛から話を聞いた弥七が言う。「あっしの知ってる婆さんにそっくりだ」と。よくよく聞いてみるとどうやらその通りのようで、深川の三好町で大島屋という升酒屋の金時婆さんであると。名は「おせき」。弥七も二度ほど見かけたようで、壕に落っこちそうになっていた荷車を引っ張り上げたり、暴れ馬に打ち当てられた荷車から米俵が七つ、八つ転がり落ちたのをひょいひょいと放り投げ、荷車に積み直してしまったという事だ。「車引きの若ぇのが『化け物が通った』と思ったらしい」というほどの怪力のようである。小兵衛は怪力もさることながら、侍に向かっていった度胸が凄いとほめている。それを聞いているおはるが焼き餅を焼く。「あたしにも剣術教えてくれればいいんですよぅ」。先生と金時婆さんなら年格好と良いお似合いだ、とツッコミを入れる弥七に「それじゃ火に油だ」と返す小兵衛。「不二楼の長次さんがお見えになるんですか」とおみね。「何だおまえ、不機嫌そうじぇねえか」と弥七が言うが、田沼様お気に入りの板前である長次に武蔵屋の料理が口に合うかと心配するおみねである。そこへ長次がやってきて事の次第を小兵衛に伝える。どうやらおせきは無事に帰ったようで、どこの誰であるかの子細を伝えるが「渾名を金時婆さん」と小兵衛に先に言われ、ご存じなんじゃ・・・と不満そうな長次に「さっき弥七に聞いた」と聞かされ納得の表情。一杯引っかけたら店に戻ると聞かされ、機嫌が直るおみねに小突かれる弥七。何事かと怪訝な顔をする長次に「仲の良い夫婦げんかだ」と小兵衛が笑いかける。が、すぐにその表情が引き締まる。「あの婆さん、このまま無事に済めば良いが」。

 深川・三好町の大島屋。おせきが店先を掃除していると弥七がやってくる。「おや、親分。何か御用で?」と聞くが、昨日は万年橋で大変だったようだなと弥七に言われて、少しばつが悪そうである。昨日の件について咎めようというわけではなく、「人一人、世話してほしい」との頼みであった。「どなたの面倒を見るんでござんすか」。おせきの問いに品の良い爺さんなのだが、家が火事で焼け出された。小金は持っていなさるようだから跡に隠居所を立てるそうだが、それまでの間・・・と弥七が話し終わる前に「ようござんす」と承知する。その後、弥七が件の老人を連れて来る。「こちらが秋川小左右衛門さんだ」。秋山小兵衛である。挨拶を済ませ、「まずはこれを」と幾ばくかの金子を手渡す。おせきは「お預かりいたしますです」と快く受け取る。

 大島屋の二階に小兵衛が間借りすることとなったが、窓を開けると通りの向こうに灯りが見える。傘屋の徳次郎が念のため、ということで見張っている。そうこうするうちに夕餉の膳が運ばれてきた。胡瓜もみに手長海老のつけ焼き、かすかに山椒の香りがする。そこにお手の物の冷酒が升で出てくる。「これはうまそうだ、毎日こんなものを食べさせてくれるのなら、ずっと住み着きたいわぃ」と上機嫌な小兵衛。おせきと身の上話をしている。おせきは下総の農家の生まれ。十歳のときに大阪の銭割弥太夫一座に売られたという。二十五までそこに居たが、「芸は何もできなかった」と言っている。力持ちが芸になっていたのである。なぜ、この場所で升酒屋を始めることになったのか。その理由については何も語らなかった。「人にはそれぞれ事情と言う物があるのでな」と小兵衛。

 異変は早速その日の夜に起きた。夜更けに表戸口を叩く音がする。その音に目覚めた小兵衛は枕元の脇差しを手に、階下に向かう。「どなたかな」声を掛けると「連れの者が夜道で大けがをしました。どうかお助けください」と言う。戸を引き開けると白刃を煌めかせて切り込んで来る曲者。が、最初に切り込んだ曲者は小兵衛にあっさり当て落とされる。「お前ら、泥棒か」と小兵衛に一喝され「だれだ、こいつは」「面倒だ。やってしまえ」と向かってくるが歯が立たない。「泥棒だ、泥棒だ」と小兵衛の叫ぶ声に隣近所の住人が起き出す気配を感じ、退散する。店から這い出して来た曲者はもう一度当て落とし捕らえてしまう。何事かと寝ぼけ眼で起き上がってきたおせきに「すまん、すまん。起こしてしまったな」と小兵衛。おせきは何が何だかさっぱりわからない様子である。

 番屋で柱に縛られている男。昨夜の泥棒・・・おせきに懲らしめられていた例の侍の一人である。食い詰め浪人じゃあるまいし、侍があんなちっぽけな升酒屋に入って何を盗むつもりだったのか。弥七に問い詰められるが一向に口を割らない。弥七が言う。「どこの大名・旗本か、洗いざらい調べ上げてやるぜ」。

 大島屋の店先で小兵衛が徳次郎に酒を勧めている。どうやら昨夜、二人の侍が逃げ帰った行き先を尾行してきたようだ。神田・駿河台の大きな屋敷。松平下総守の下屋敷のようだ。「いや、よくやった。てっきり酔いつぶれて寝ておって使い物にならぬと思っておった」と言う小兵衛に「あんなにでっけえ声を出されちゃ目も覚めますよ」と返したものだから「やっぱり寝ておったのか」とからかわれている。そのやりとりを見物するように荷車を引いている野菜売りの夫婦が大島屋の前で話し合っている。昨夜族が押し入ったらしいが、ご隠居のじいさんが一人でおっぱらってしまったと。店先でにこにこしている小兵衛と目が合って会釈をするが納得がいっていない様子。「あんなちっぽけな爺さんがねぇ、人は見かけによらないねぇ」と。「見ろよ、すげえのが来たぜぇ。芝居に出てくる色若衆だよ。あんなのがほんとに居るんだねぇ」「升酒屋へ入っていったよ」・・・その人物、佐々木三冬である。道場へ行った際、大治郎に聞いてここへやってきたと言う。「何事がおこったのです?」との問いに、聞いておいてもらおうか、と言いつつ世の武士の体たらくにいささかおかんむりな様子の小兵衛。「で、金時婆さんは今、どこに?」徳次郎の疑問には、目で合図をしてにやりと笑う小兵衛と三冬。

 秋山大治郎道場。夕餉の支度をしている大治郎に買い物から帰ってきたおせきが声を掛ける。「男が台所に立ってたんじゃ出世はできねぇよ。弟子が一人も来ねえのもそのせいだ。女のおれが居るんだから」と。風呂を沸かし背中を流し、夕餉の給仕をする。母親がいないと何かと不便であろうと言うが物心ついたころからこの生活だからと気にしていない素振りの大治郎。「三歳の頃に病でと聞いています」と母の事を話す大治郎を見つめるおせきの目が何かを思っているようである。

 牢屋に弥七が駆け込んでくる。あの侍が舌をかみ切って自害したとの知らせを受けたからである。番屋ではひと言も口を割らなかったので、大番屋へ移して徹底的に調べようという矢先の事であった。その知らせを大島屋で聞いた小兵衛は「死んだ奴の意のままにはさせん」と決意する。さっそく手配にかかる小兵衛は三冬に田沼様への依頼を言付ける。「侍の亡骸を引き取ることと、和田倉御門へ入れる手配をお願いしたい」。和田倉御門とは江戸城西の丸にあって、譜代大名が門の警護をしている。そこへ裃姿の小兵衛と荷車を引いた弥七、傘徳がやってきた。小兵衛が懐から有る物を取り出す。『御意寛徳』である。大手門の出入りさえ名乗らずにできると言われる通行証である。松平下総守の屋敷はこの和田倉御門内にある。門の前までやってきて弥七と傘徳は座棺を下ろし、和田倉御門まで先に戻っていく。小兵衛が名乗りを上げると門番が用件を取り次ぎ、家臣が現れて座棺を屋敷へ運び込んだ。一緒に門を潜り中へ入る小兵衛に向かって、「そこもとは外で待たれよ」と追い払う様な手つきをする。気に障った小兵衛が「それが十万石松平家の家風か」と詰め寄り、止めに入った家来を投げ飛ばしてしまう。そして件の侍はやはり松平家の家臣で大野源蔵であった。事の次第を告げ「わしの家は深川、三好町の大島屋という升酒屋だ。用があったら来るように」と告げる。わなわなと震えるような表情の家臣は何を思っているのか。

 日の暮れた大島屋。弁当が広げられている。にこにこ顔の嘉助。三冬が住む和泉屋の寮で働く老僕が「今夜はお籠もりだと思いまして」と持参してきた心づくしである。「よう気がついた。茶も欲しいな」という三冬に「へいへい」と嬉しげに従う嘉助ではあるが、小兵衛は「この娘は何もせぬな」とでも言いたげな表情で三冬を見ている。ま、姫ですから・・・。そこへ大治郎がやって来る。どうしたのだと小兵衛に聞かれ、おせきに行くようにと言われたのでと答える。おせきは今、橋場の不二楼に居るという。昼間の一件を弥七から聞き、「そんな危ないところに年老いた父親を一人にしておくもんじゃねえ」と。年寄り扱いするんじゃないわい、とは小兵衛。卓の上を見て「弁当。三冬さんがお作りに?」と問う大治郎。「ああ・・・いや、嘉助が・・・」と口ごもる三冬に、「こっちのほうもそのうち覚えておかんとな」と言ったのち、大治郎に「夕餉は済ませたのか」と小兵衛がさらりと話題を変えてくれる。おせきさんの心づくしで・・・と答えた大治郎に、おせきがやさしくしてくれる訳を語り始める。

『上方にいたころ、ある大店の跡取りと駆け落ちし、おまえ(大治郎)と同じくらいの年頃の息子がおったそうだ。その後、ここで升酒屋を開いていたがその息子は連れ戻されたということらしい。この店を続けているのは、その息子がいつか訪ねてくることを待っている、その目印なのだ。店を閉めてしまえば親子の繋がりが無くなってしまうので、一所懸命店を守っておるのだ』

小兵衛は言う。それに比べて今時の侍のなんたることか。「父上、そうとうお怒りのご様子で」と大治郎。傍若無人な振る舞いのあげく、責めを受けることになれば舌をかみ切ってしまう。模範ともならねばならぬ武士がなんという様だ、とは小兵衛。「ひょっとすると、わしはあの婆さんに恋心を抱いたのかもな・・・あの怪力に」と。

 表の戸を叩く音がする。一同、顔を見合わせ「来たな」という表情。「手を出すな」と大治郎・三冬に声を掛けてから「どなたかな」と小兵衛が問う。「松平下総守家中の者でござる。駕籠を用意しておるので秋山小兵衛殿にお出向き願いたい」「どこへじゃ」「深川十万坪」。

 深川十万坪とは、新田開発のために埋め立てられた場所で、辺りには田畑や人家も無く、賑やかな深川のすぐそばとは思えぬ風景が広がっている。そこで小兵衛を駕籠から降ろす。縛られた家臣二人を引き出し、「狼藉を働いたのはこの二名、武士らしく責を果たすために連れて参った」と言うが、小兵衛は策略をすでに見抜いている。「武士らしくが聞いて呆れる。人気の無い所に呼び出して、わしを始末してしまう腹づもりであろう」と。事実、その通りであり襲いかかる松平家家中の者を「命は取らぬわ、ただし少し痛いぞ」と相手の手足の筋を切り、向かって来れなくしてしまう。少し離れた場所に潜んで様子を伺っていた大治郎と三冬も最初はやや慌てたようであったが、小兵衛の立ち回りに安心したように表情を緩める。松平家の者どもはさんざんに懲らしめられ這々の体で退散する。

 用人・生島次郎太夫と三冬を従え、釣りを楽しむ田沼主頭守意次。この度の一件は松平候は何一つ関わりがなく、家臣の勝手な振る舞いであったとのこと。「世の、人の手本ともなるべき大名・武家がこのざまでは。本来なら松平候御自らが、かの金時婆さんに詫びを入れるべき」と田沼が言うのを笑って聞いている三冬。釣竿に掛かった魚をたぐり寄せようとして池に落ち込む生島を見て笑っている田沼。すっかり打ち解けて来ているようである。

 不二楼、表口。おもと、長次におよね、小兵衛や大治郎に見送られるおせき。「眠れましたか」と問うおもとに、「あんな綺麗な部屋で料理もおいしくて、まるで竜宮城にでも来たようだ」というおせき。「乙姫様もおるしな」とおもとに向かって小兵衛がつぶやく。お世話になったのだ、そこまで送って行きなさいと小兵衛に言われた大治郎に向かって、「いらね」と見送りを拒み、「色んな物を食べて体を鍛えて、たまには風呂も沸かして入らないと。同じ着物ばかりでもいけないよ」と最後まで大治郎を気遣う。一礼して橋を渡って去っていくおせきを、追いかけるように走り出す大治郎であるが、橋の袂で足を止め、後ろ姿を見送る。「寂しいが精一杯明るく振る舞って元気に生きている。わかるかぇ、お前さんにその気持ち」と小兵衛に問われたおもとが答える。「わかりますとも。あたしも女ですから」。おはるが舟で小兵衛を迎えにやってきた。遠くで雷が鳴っている。どうやら梅雨も明けそうである。

原作版小説 剣客商売第三巻 第七話 深川十万坪

 原作では第三巻の最後に登場するお話。TV版とは違い、金時婆さんこと、おせきは病弱の一人息子とともに升酒屋を営んでいる。そして、最初に金時婆さんを見かけた際、小兵衛・おはると共にその場に居合わせ、おせきの帰りを見届けた後、翁蕎麦に居る小兵衛に無事を報告に来るのは長次ではなく、TV版第二シリーズ第八話「嘘の皮」に登場する鰻の辻売りの又六である。この又六も原作においてはたびたび登場し、ある時は小兵衛の使いに、またある時は尾行や情報収集などに動く事となります。また縄張りが違う事により、おせきの店に小兵衛が泊まり込む際の仲介は「仙台堀の政吉」という御用聞きが取り持つことになっています。そして一番の違いは原作では秋山大治郎がほとんど登場せず、小兵衛とともに大島屋に泊まり込んだり、などは佐々木三冬が行動しております。TV版では同じ年頃の息子の面影を大治郎に投影しているかのような、おせきの心情が見事に表現されており、原作では息子と二人、一所懸命に店を守って働いている姿が描かれた一編となっています。

剣客商売〜第六話「深川十万坪」〜キャスト

秋山小兵衛(藤田まこと) 秋山大治郎(渡部篤郎)
おはる(小林綾子) 佐々木三冬(大路恵美)
田沼意次(平幹二朗) 生島治郎太夫(真田健一郎)
おもと(梶芽衣子) 長次(木村元)
弥七(三浦浩一) 徳次郎(山内としお)
おみね(佐藤恵理) およね(江戸家まねき猫)
嘉助(江戸家猫八)
おせき(藤田弓子) 大野源蔵(本城丸 裕)