時代劇と剣戟俳優〜銀幕スター

 明治二十八年(1895年)に映画シネマトグラフがフランスで誕生し、明治三十年(1897年)日本でも最初の映画撮影が行われます。明治四十一年(1908年)「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三が映画制作をはじめます。そして翌年に初の日本映画俳優となった「尾上松之助」を牧野省三は見いだします。大正元年(1912年)、日本活動写真株式会社(日活)が設立され、尾上松之助を筆頭に数々のスターが送り出されるのです。
芝居や歌舞伎を模していた「旧劇」は、大正九年(1920年)に転換期を迎えます。迫真のある殺陣が加わり、女形に替わって女優を起用することになります。そして、大河内傳次郎、板東妻三郎、月形龍之介、片岡千恵蔵、嵐寛壽郎ら花形スターが生まれます。
サイレント(無声映画)がトーキーとなり、それまで歌舞伎真似であった「旧劇」がチャンバラ活劇「剣戟映画」となり、そして「時代劇」と呼ばれるようになるのです。時代劇の黄金時代は1930年代、そして大戦を経て1950年代です。大正九年(1920年)松竹キネマ合名会社〜昭和十二年(1937年)松竹株式会社、昭和十七年(1942年)に大日本映画製作株式会社(大映)、そして昭和二十六年(1951年)に東映株式会社が創立されます。

昭和二年(1927年)松竹から華々しくデビューしたのは「永遠の二枚目スター」と女性たちを魅了した林長二郎のちの長谷川一夫。彼は東宝、大映へと移籍し、昭和三十八年(1963年)に映画界を去るまでスターとして活躍し続けました。そしてその後を継ぐかのように円月殺法を掲げた市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズが始まります。市川雷蔵が大映から映画デビューした昭和二十九年(1954年)に同じく歌舞伎から映画へと転身した中村錦之助のちの萬屋錦之介が東映からデビューします。そして東映時代劇の全盛期を飾る花形スターとなるのです。
東映といえば殺陣のプロ集団、福本清三先生を筆頭とした斬られ役「剣会〜つるぎかい〜」。この方たちなくしては時代劇は始まりません。大スターを続々と生み出した劇場時代劇もテレビの普及とともにテレビ時代劇へと移っていきましたが、この平成の世にインターネットが広まり、またテレビから次のメディアへと娯楽が移っていくようです。昨今、時代劇の制作が減りましたが、それでも新しき作品を待ちわびるものでございます。